【伝えたいことと読みたいことは違う】
スーパーバイザー 倉林秀光
今回は私の失敗談をお話しましょう。
あなたはディープ・パープルというハードロックバンドをご存知ですか。
ロックをあまり聴いたことがない人でも、名前くらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか。
20歳前後のころ、私はこのディープ・パープルのファンクラブに入っていました。
ファンクラブでは年に4回ほど機関誌を発行していたのですが、あるとき、投稿をしたことがありました。
BURNという曲がヒットしていたので、その解説です。
BURNという曲はこういう特徴があるんだよ……といった解説をしようとしたのですが、ギターとキーボードのソロパートの箇所はバッハのコード進行が用いられています。
そこで、「バッハのコード進行といっても、知らない人が多いだろうなあ」と考え、たいして知識がないにもかかわらず、バッハのコード進行(特徴)についても長々と書き連ねてしまったのです。
結果は? 原稿は機関誌にいちおう掲載されたものの、バッハのコード進行の箇所はバッサリと割愛されていました。
理由はおわかりですよね。
そう、ファンにとって知りたい(読みたい)のは、あくまでBURNはどういう曲であるかということ。
バッハのコード進行、バッハの音楽の特徴など、どうでもいいのです。知らなくてもいいのです。だから、バッサリと割愛されてしまったのです。
はじめのうちは、苦心して書いた原稿が大幅に割愛されたため、ものすごく不快でしたが、この仕事を始めるようになってから、「当然」と思えてきました。
書き手が伝えたいことと、読み手が知りたいことには違いがある。
書き手が「ここが大事」と考え、記述しても、読み手にとってはどうでもいいこともある。
その部分をはき違えてはならない。
そのことに気づいたからです。
本の執筆ならば、なおさらのこと。
読み手は何を知りたがっているか?
読み手はどういう問題を解決したがっているのか?
この点に注意を払うことが大切で、そうでないと話が主題から逸れてしまう可能性があり、編集者からその箇所を割愛されたり、最悪、書き直しを要求されることもあるのです。