【ゴジラの映画に学ぶ】
スーパーバイザー 倉林秀光
私は以前、このブログで次のようなことを述べました。
「一冊の本を書き著わそうとするとき、著者は往々にして、自分の持てるノウハウのすべてを投入しようとする」
「その姿勢はもちろん大切だが、『全編にわたって、あれも記そう。これも記そう』だと、情報があまりにも膨大になるため、著者が一番強調したい部分――最大の強みといったものが、読者に的確に伝わらなくなることがある」
「より正確に言うと、読者は読んでいて、情報の収集作業に疲れてしまうため、『いまいち要点がつかみづらい』で終わってしまうことがある」
「そうならないためには、良い意味で“遊び”の部分が多くてもいい。著者が一番強調したい部分――最大の強みは3割程度にとどめおくといい」
私のこの考えは映画にも相通じるものがあります。
たとえば、ゴジラの映画です。
ゴジラの映画は通常の映画と違って、本編と特撮シーンに分かれています。
本編は人間ドラマを描いたもの。
特撮シーンはゴジラが他の怪獣と闘ったり、ビルを崩壊したり、自衛隊がゴジラに攻撃するシーンなどを描いたもの。
この二つがうまく組み合わさることによって、ゴジラの映画は成り立っています。
しかし、往年のゴジラファンは、口をそろえてこう言います。
「平成のゴジラ映画よりも昭和のゴジラ映画のほうがおもしろいし、よく出来ている」
なぜでしょうか?
特撮技術(CG)が昭和のころよりも数段進歩したにもかかわらず……。
結論から言ってしまうと、それは本編と特撮シーンの時間配分が関係しています。
ある映画評論家が調べたところ、昭和のゴジラ映画は平均90分の上映時間のうち、本編が70分であるのに対し、特撮シーンは20分足らずだといいます。
いっぽう、平成のゴジラ映画はこれが完全に逆転。平均90分の上映時間のうち、本編が20分であるのに対し、特撮シーンは70分くらいあるというのです。
言うまでもないことですが、ゴジラの映画の最大の見せ所は、特撮シーンにあります。
ゴジラの映画の最大の売り――強みといってもいいでしょう。
しかし、「過ぎたるは及ばざるがごとし」とはよくいったもの。
特撮シーンが全編にわたってつづくとどうなるか。
映画を観る側は疲れてしまいます。
飽きてしまいます。
感動も薄れてきます。
そのため、ストーリーの概要も把握しづらくなります。
これが平成のゴジラ映画の欠点です。
これに対し、昭和のゴジラ映画は基本人間ドラマを主軸に展開されます。
そして、特撮シーンはここぞというところで映しだされます。
すると、映画を見る側は、そこで釘付けになります。
非日常的な特撮シーンに感動し、後々まで印象となって残ります。
また、何よりもストーリーの概要が把握しやすくなるという利点があります。
要するに、良い意味での“遊び”の部分(本編)が多いおかげで、強み(特撮シーン)が引き立っているのです。
本もまったく同じです。
著者が一番強調したい部分――最大の強みというのは、ゴジラの映画でたとえていうと特撮シーンのようなもの。
それを平成のゴジラ映画のように全編にわたって打ち出すか。
それとも、昭和のゴジラ映画のように、「ここぞ」というところで打ち出すことで、際立たせるか。
出版企画書の構成案を練るにあたって、そういったことも念頭に入れておくのもいいかもしれません。